旧マルヤマ商店事務所

長谷川建築事務所 1922

#1:装飾は本作の特徴の一つ

#2:一階の応接スペース

尾道と福山の中間に位置する松永の地に残る、かつての履物工場の事務所。
江戸時代以来の松永の主力産業は塩田を用いた製塩業であったが、製塩の燃料として薪が必要だったため木材集散地ともなっていた。松永の下駄商人だった丸山茂助は、燃料として使われる雑木の中から桐に似たアブラ木を用いて下駄を安く製造することを思い立ち、1878年に下駄生産を開始。機械化して大量生産したことで劇的に値段を下げた丸山の下駄は大ヒットとなり、他社も参入した結果、松永は下駄の国内最大の生産地となった。
本作は、息子の二代目丸山茂助が工場を新設する際にその事務所として建てたものであり、西欧の様式を強く意識した洋館(*1)という点に特徴がある。周辺一帯でこれほどしっかりデザインされた洋館は他に見あたらず、本作は大いに目立ったことだろう。

まず外観から。外壁は石造のように見えるが実際は木造で、壁は左官仕上げ(洗い出し)で石のようにみせており、しかもかなり細かい装飾が各所に見られる。頂部にはどーんとコーニスとパラペットが付き、ペディメントっぽくも見えるパラペットには社章らしきマークがあしらわれている。付柱は2階までぶち抜きのジャイアントオーダー風で、柱頭装飾の代わりに楕円形のメダリオンが付く。二階の窓は木造なのにわざわざアーチになっている。窓はもちろん縦長で上げ下げ式の木サッシが現役だ。

内部もまた見どころが多い。一階は事務所や応接スペースであったが、この応接スペースは床の間を備えた和洋折衷のユニークなデザインになっている。床の間といえば「用材の見せ場」であるが、ここでの床板はタモで床柱はナンテン。天井にはプレスして白く塗られた鉄板を使っている。二階の室内で興味深いのは窓の高さで、一階と比べて明らかに低い位置にある。おそらく二階はイスではなく床に座る前提だったのだろう。

本作でもう一点指摘すべきは、歴代のオーナーがきちんと手入れをして建物の状態を保っていたことだ。築100年近い木造でもこれほど状態良く美しい状態を保てるのかと驚かされ、深い感銘を覚える。今となっては希少となった「じっくりと鑑賞したくなる建物」である本作はもっと有名になっていい。