下筒賀の社倉

不詳 18世紀

中国山地のただなか、山間部の農村にある江戸時代の社倉。社倉とは飢饉などに備えて穀物を貯蔵する倉庫で、広島藩では村々に設置を奨励していた。本作はごく小規模なものだが、当初の姿がそのまま残されており、貴重な存在となっている。
外壁は漆喰で仕上げられ、四面とも傾斜している。屋根は茅葺の置き屋根で、神社のような千木が付いている。

安永八年(1779)広島藩は飢饉に備え町村ごとに社倉法の実施を督励した。この社倉も当時設けられたもので、建坪四坪ほどの小規模なものであるが、位置・構造ともに当初の状態をそのまま伝えている。
社倉法は、飢饉に備えて麦を貯蔵することを目的として行われたが、その運営は元麦を救用と永貸用とに二対一の比率で分け、永貸麦は年々低利で貸付けて利殖し救用の完備をはかったものである。
(現地案内板より)