JR貨物広島車両所/旧広島鉄道局広島工機部

不詳 1943-

#1:一般公開時の様子。カメラを持っていても全く不審がられないのはありがたい。

広島デルタの北東部、矢賀にある機関車の整備工場。戦時中に建設された建屋が複数現存しており、いわゆる被爆建物の中では最も若い部類に入る。

日中戦争開戦以後の鉄道輸送増加に対応するため、機関車の整備工場を新設することになり、戦時の資材不足に悩まされながらも1943年3月に操業を開始した。被爆時には木造建物の損傷やガラス飛散などの被害を受けたが鉄骨建屋の倒壊は免れ、戦後から現在に至るまで機関車の整備拠点として使用されている。

現存する被爆建屋は第一主棟、動力室、油庫の3棟とされるが、鉄骨建屋では戦後に増築や部材の交換が行われている。また、他の建物も戦後の早い時期に建てられたものであり、目視だけでは各建物の建築年代の判定は難しい。

第一主棟

巨大な無柱空間が二つ連なる。増築されており当初のファサードは残されていないが、内部の雰囲気はかなり往時を留めているように感じられる。

動力室

第一主棟の北側に建ち並ぶ建屋の一つ。公開日でも非公開のため内観できておらず、オリジナルの痕跡がどの程度残っているかは分からない。

赤レンガ倉庫

敷地外からも見ることのできるレンガ造の建屋。現在は資料室と倉庫として使われている。本作は戦時中または戦後の建物のようだが、建築年代を示す資料は手元にない。いずれにせよ関東大震災(1923年)以降に建てられた数少ないレンガ建築の一つといえそうだ。本来はRC造で作りたかったのだろうが、極度の物資不足からレンガを選択したものと思われる。(*1)
内部は半分が二層構造で、鉄の柱に木の床を載せている。