似島の旧軍施設

不詳

似島学園およびその南側に広がる旧陸軍の遺構。
日清戦争時に陸軍の一大拠点となった広島には戦争終結と共に軍隊が外地から続々と帰還することになったが、大陸から伝染病を持ち込まないよう、兵士を一定期間隔離して経過観察し消毒する施設(検疫所という)が必要となり、宇品に近い島にあるこの地が選ばれた。のちに日本都市計画の父と呼ばれることになる後藤新平は、軍医として似島検疫所建設の指揮を執り、出世のきっかけをつかんだという。
後の第一次大戦時にはドイツ人収容所として使われた。青島から連行されていたカール・ユーハイムが日本初のバウムクーヘンを焼いたのはこの地と伝えられる。ユーハイムのバウムクーヘンは産業奨励館(現在の原爆ドーム)で開かれた展覧会に出品され大好評を博したという。

南側には弾薬庫跡(建物はない)と土塁が残っている。この土塁は爆発事故に備えたものと思われるが目隠しの意味もありそうだ。こちらはレンガではなくコンクリートが多用されているので昭和初期頃であろう。トンネルの底にはトロッコの軌条(レール)跡が見られる。
まだ現地を回っただけで感想レベルのことしか書けていないので、文献調査をしながら随時加筆したい。