明王院

不詳 1321

#1:本堂

福山に残る至宝。真言密教スタイルの本堂と五重塔が国宝に指定されている。
本作は当初は常福寺として創建され(*1)、今はなき草戸千軒町とも密接な関係にあった。江戸時代に福山藩主水野勝貞が城下にあった明王院と常福寺を合併させ、以後、明王院と呼ばれている。

本堂は鎌倉時代末期の建立で、平面形は正方形(桁行5間-梁間5間)で向拝1間(江戸時代のもの)が付く。入母屋造の本瓦葺き。和様をベースに大仏様・禅宗様を組み合わせた折衷様で、大陸との交易の影響なのか中国風デザインの影響が強く出ている。垂木は平行垂木であるが屋根は強く反り上がり、戸は桟唐戸。前面(外陣側)は桟唐戸がズラリと並ぶが、後ろ側(内陣側)は板壁となっている(写真#2)。禅宗様らしい特徴として、柱間をつなぐ部材として長押代わりに貫が使われ、柱の先端部は粽になっていて台輪(繰型装飾付き)が載っている(写真#2)。また、室内の架構構造はさらにユニークなものとなっている。1964年に解体修理完了。

五重塔は室町期(南北朝時代)の建立で、基本的に和様。平面形は正方形で、桁行3間-梁間3間、本瓦葺き(写真#3)。内部は極彩色の壁画があったが江戸時代に取り外され、現在は東京国立博物館の収蔵となっている。現在も壁画はあるが、江戸時代に描き直されたものらしい。尾垂木付きの組物もじっくり鑑賞したい。1962年に解体修理完了。

境内には、その他にも江戸時代に追加されたとされる山門・庫裏・書院など、文化財が数多く残されており(写真#4,5)、広島の不動院尾道の浄土寺と並ぶ県内最高の寺院建築群といえる。時間をとってじっくり鑑賞したい。