大崎上島の繁栄の源である廻船業で財をなした望月家の邸宅を修復・再利用し資料館とした施設。
特に栄えたのは望月東之助が当主を務めた頃で、江戸末から明治期にかけて廻船問屋を軸に多角経営を進め財をなし、息子たちは政界に進出、三男圭介は政友会幹事長や内務大臣を務めた。また、東之助は大崎上島の海運業育成のため船員養成学校である芸陽海員学校の設立にも関与した。この学校は現在では広島商船高専となっており、本作のすぐ近くにある。
本作の特徴は、まずそのスケールの大きさにある、明治期とはいえ長屋門を持つ商家はそう多くないはずだ。また、現地の解説資料では、主屋2階と長屋門で採用されている「船枻(せんがい)造り」が特徴としてあげられている。主屋の軒裏を見てみると、1階は通常通りに垂木を出しているが、2階は柱の上部から腕木を出し、桁を渡して屋根を載せている(写真#5)。これを「船枻造り」または「出し桁造り」などという。竹原や鞆では特段珍しいものではないが、確かに島ではあまりなさそうである。
さらに、主屋の「むくり屋根」、各所の用材(当時は手に入れにくい外国産の木材を多く用いている)、和小屋ではおなじみの太い柱・梁の構造など、見どころは多い。資料館としての展示も充実しているので、大崎上島を訪問する際にはぜひ立ち寄りたいスポットといえる。