紅葉谷公園

広島県砂防課? 1950

宮島の奥座敷、岩惣からロープウェイ駅にかけて広がる公園。県内有数の紅葉の名所として知られているが、実は災害復興工事の隠れた名作であることはあまり知られていない。

昭和20年9月、終戦直後の広島を襲った枕崎台風により宮島も大きな打撃を受けた。特に紅葉谷から厳島神社にかけて発生した土石流被害は深刻で、厳島神社が半ば砂に埋め尽くされ、土砂の運び出しに2年を要したという。
土石流被害からの復旧工事にあたっては、文化財の専門家や造園学者丹羽鼎三の指導により、上流域は通常の砂防工事を行う一方、中流~下流域は「庭園砂防」と称する景観配慮型の工事が行われ、現在の紅葉谷公園が形成された。「庭園砂防」の方針を明文化したのが下記の趣意書であり、その方針に従って自然石をそのまま利用した堤防やダムなどが建設されていった。

岩石公園築造趣意書
1. 巨石、大小の石材は絶対に傷つけず、又、割らない野面(のづら)のまま使用する。
2. 樹木は切らない。
3. コンクリートの面は目に触れないように野面石で包む。
4. 石材は他地方より運び入れない。現地にあるものを使用する。
5. 庭園師に仕事をしてもらう。いわゆる石屋さんも、鑿(のみ)と玄翁(げんのう)は使用しない。

工事から60年を超えた現在、砂防施設は自然風景の一部となっており、災害復興による公園とは思えないほどだ。ロープウェイへの道中、昭和の庭師たちの仕事ぶりをじっくり鑑賞したい。