厳島神社五重塔

不詳 1407

周辺が古建築だらけなので見落としがちだが、千畳閣の横にある五重塔も室町時代の建立とされる古いもので、なかなかの良作だ。屋根の”反り”が大きいところは唐様(中国風)を思わせるが、その屋根を支える垂木は平行(和風)となっており、和様と唐様の折衷とみられる。向上寺など瀬戸内海地域でよく見られるスタイルだ。
神社に五重塔を建てるのは、現代人は奇異に感じるかもしれないが、それは明治の神仏分離令等で意図的に作られたステレオタイプにとらわれているのであって、この神仏習合こそが当時のセンスといえる。逆に言うと、各地の神社内の仏教施設は大多数が明治期に破壊されてしまっており、本作は江戸以前の神仏習合のノリを実感できる貴重な事例ということもできる。
ちなみに塔が建っている丘は「塔の岡」といい、有名な厳島合戦(1555年)において宮尾城を攻撃する陶軍が本陣を置いた場所とされる。合戦時に千畳閣はまだなく、五重塔だけが建っていたはずだ。