福山八幡宮

不詳 1683

福山城の北側、小高い丘(松廼尾山という)に建つ神社。同型の社殿を持つ二つの神社が並ぶ、珍しい構成となっている。現在の東宮・西宮は、元々はそれぞれ延広八幡神社・野上八幡神社と呼ばれ、別々の場所にあったが、水野氏の福山城築城に伴い遷座され、曲折を経て現在地に落ち着いた。
本作の特徴は、先に述べたように、二つの同型の神社が並んでいるところにある。すなわち、石橋・薬医門・参道・鳥居・石階段・随身門・拝殿・幣殿・本殿…まで、全く同じだ。参考文献 1) によるとこのような例は他にないという(写真#1と#2を比べてほしい)。東西いずれも江戸時代の早い時期に建てられたもので、素人目にも県内で指折りの社殿建築であることが理解できる。特に西の社殿は平成20年の修復工事により極彩色に復元されており、蟇股や組物の装飾など、かなり見ごたえがある(写真#4)。また、江戸時代の社殿が現存することから分かるように、このあたり一帯は戦災を免れており、吉津川のあたりなど、往時を感じさせる風景が各所に残っているのも重要といえる(写真#8)。
なお、現在地の造営当初は東西の間に水野勝成(初代藩主)を祀る聡敏神社が置かれていたが、1980年代に中央拝殿を建てる際に西宮のうしろに移転となっている。