旧千葉家住宅

不詳 1774

西国街道の宿場町である海田(かいた)を代表する商家。千葉家は武士の出身で屋号を神保屋と称し、江戸時代は酒造業のかたわら、天下送り役(幕府の荷物を扱う役目)・宿送り役(藩の荷を扱う役目)を担っていた。ときには街道を行く幕府関係者が立ち寄ることもあり、本陣に準じる機能も果たしていた。
往時は酒蔵などが敷地内に多数建ち並んでいたというが、現在は旧街道に沿って主屋や座敷棟などが現存する程度となっている。とはいえ、座敷棟は江戸時代中期のものであり極めて貴重である。

町家と侍屋敷を接合

#1:街道沿いに門がある

本作の外観を見てまず気づくのは、町家なのに門があるところだ。道路から見て左側の主屋はいわゆる町家であるが、右側の書院は門を持ち、侍屋敷の作法で建てられている(そもそも書院は武家の様式として発展したものだ)。厳格な身分制度があった江戸時代には一般の町人でまともな門を持つことはできなかったはずで、千葉家が武士出身で天下送り役を務めるほどの格式を持ち、大名や幕府の役人の滞在を想定して設計したためだろう。
ちなみに、海路の宿場町であった三之瀬(下蒲刈島)の丸本家住宅も門を持つ町家だが、そちらは広島藩の役所機能もあったらしく、純粋な商家とは異なる。

座敷棟の見どころ

#2:座敷棟から庭を眺める

座敷棟と呼ばれる部分は1774年のもので、江戸時代中期の姿を留める。もちろん瓦は鎬桟瓦。書院造を基本としつつ、座敷の雁行配置や池の上の浴室などの遊び心には数寄屋の影響も感じさせる。欄間彫刻の雁や雲龍も見事なできばえで、当時の職人の技量をうかがわせる。
また、古建築鑑賞のポイントの一つに装飾があるが、中でも施主に関わるマークを探すのが定番だ。千葉家の家紋「月星紋」を探してみると、瓦を始め各所に見つけることができる。また、付書院や釘隠しにはウサギがいる。ウサギは月の世界で不老不死の霊薬をつき続ける月の精とされる伝承があり、ひょっとしたら月星紋とリンクさせているのかもしれない。

そのほかの箇所

#2:庭と浴室

座敷棟の奥には庭園と浴室がある。家人の普段使いのものとは考えにくく、幕府高官や大名の滞在を想定して建てたものだろう。さらに非公開の主屋部分も見学したが、こちらは後世にかなり改造されているため文化財ではないものの、旧家ならではの趣を感じさせる空間だった(写真#9)。
また、天下送りと書かれた箱や衣装も江戸時代のものがよく残されており、建物と共に県内有数の歴史資産を構成している。広島から電車で10分という近距離にあるので、週末プチ散歩にでかけてみてはいかがだろうか。