弓削神社

不詳

弓削島の法王ヶ原に建つ神社。法皇神社ともいう。弓削島はもとは二つの島であり、間の海峡に砂が溜まり陸続きになったらしいが、ちょうどその東側の砂浜に位置する。弓削は古来より製塩の島として知られ、東寺の荘園となり塩を納めていたが、江戸時代になり各地で高効率の入浜式塩田が開発されると製塩業は徐々に廃れていき、漁業や海運業が中心となった。海運業については、今も弓削神社の裏手に商船高専があってその名残を留める。
本作の建設時期などは調査中なので不詳としておくが、目視した範囲では1920~50年代くらい?と推測する。それにしてもこの立地はすばらしく、訪問時は曇天であったが、江戸時代以来の松原と砂浜が織りなす風景はまさに白砂青松というにふさわしい。