縮景園

上田宗箇 1620

江戸時代の広島藩主浅野長晟(あさのながあきら)が1620年から築造した庭園。桃山~江戸期の武将にして茶人の上田宗箇(うえだそうこ)が作庭を担当した。その後、1940年に浅野家から広島県に寄付され、同年国名勝に指定された。園内のほぼ全ての樹木や木造建築は、戦災により失われて戦後復元されたものだ。
庭園のスタイルはいわゆる「回遊式庭園」であり、典型的な江戸時代の大名庭園といえる。広島城に隣接し京橋川に面する位置に置いたのは、有事には東側からの防衛拠点として機能させることが念頭にあったためだろう。
兼六園・後楽園のような名園とは比べるべくもないが、小さいながらも見応えはある。特徴的なのは池を二分する「跨虹橋(ここうきょう)」で、重要なアイストップとなっている。

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