広島電鉄千田町変電所/旧広島電気軌道火力発電所

不詳 1912

#1:左側(南側)は事務所棟(旧ボイラー室)、右側(北側)は変電所棟(旧発電機室)

広島電鉄本社敷地内に建つ2棟のレンガ建築(*1)。広島電気軌道が1912年に路面電車を開業する際に火力発電所として2棟同時に建設された。道路から見て左側(南側)の建物は旧ボイラー室、右側(北側)が旧発電機室であり、設備を収容するため2棟とも半地下の床を持っていた。かつては2棟の目前に平田屋川という運河があり、燃料の石炭を船で搬入していたという。昔の写真を見ると2棟の間に大きな煙突が立っていたようだ。その後、1934年には発電所としての機能が廃止され変電所となった。

被爆時には室内を焼失するも辛うじて倒壊は免れた。応急措置を受けて再稼働し、1958年に補修工事を受けたうえで現在も変電所・事務所として使われている(左が事務所、右が変電所)。1958年の工事について文献2)をベースに詳述すると、変電所棟はレンガ壁自体も損傷していたため、上部のレンガを撤去してRC壁に置き換え、存置したレンガ壁を補強するため外側にRCのバットレスが追加され、壁は白く塗られた。そのため変電所棟では当初あったはずのコーニスやペディメントは失われている。なお、小屋組の鉄トラスは被爆時に損傷しており、旧材を再利用しながら再構築された。一方、事務所棟は内部に床を作ることで平屋だったものが2層構造に変更されている。

2棟とも通常非公開だが、6月の路面電車祭りの際には公開され、内観できたのでレポートしたい。
事務所棟については、ざっと見た限りでは比較的往時の外観が残されているようだ。レンガはイギリス積みで、窓まわりには花崗岩、コーニスは人造石らしい。内部にいかにも後付けらしい壁・床が増設されており、往時の様子を伝えるものは見受けられない。
変電所棟は今なお設備が収められているため、当初からの半地下が保たれており、平屋なので小屋組の鉄トラスもよく見える。エントランスは大きなアーチとなっており、擬宝珠が付くなど装飾性が高い。また、足元を彩る石材も印象的で、趣のあるしつらえである。内部空間は比較的往時の姿を留めているように思われる。

本作は、広島デルタで現役で使用されているほとんど唯一のレンガ造建築であるが、文化財指定などは受けていない。広電は、歴史的価値が高く意匠にも優れたレンガ建築であり被爆直後に電車を復旧させたドラマの舞台でもあった廿日市変電所をあっさりと解体しており、本作も耐震性などの理由を付けられて解体されかねない状況にある。本作の、都市広島の発展や復興を支えた路面電車の記憶を留めるシンボルとしての価値を共有し、一企業で負担しきれないところは行政や市民が支援してでも、次世代に受け継ぐための知恵を絞るべきではないだろうか。