平和大橋

イサム・ノグチ 1953

平和公園の目前、幅員100mの平和大通りに架かる橋。既に着工されていた橋の欄干デザインについて建設省から相談を受けた丹下はこの仕事をイサム・ノグチに任せ、大谷幸夫がノグチのスケッチから施工図を起こした。

伊勢の表現

#1:平和大橋は平和記念公園から見て東側にあり、欄干も昇る太陽をイメージさせる。

#2:西平和大橋

丹下はノグチのデザインについて「伊勢を感じた」と書いている。丹下の言う伊勢とは、現代人がイメージする”和風”が確立される以前の、エネルギーに満ちた日本のプロトタイプであり、自然への畏敬(アニミズム)を素直に表現した造形とでも言うことができるだろう。

ニューヨークで彼のデッサンを受けとったとき、コンクリート打放しの勾欄が、すばらしいスケールで彫刻されているのを見て、私は、何か伊勢を感じた。その後その橋の工事のために彼と広島を訪れたとき、私の陳列館を見て、彼は、伊勢の気持ちだと言った。ノグチさんのこの橋も伊勢の気持ちだったのだなと、私は苦笑せずにはいられなかった。(略) この太陽をかたどった橋は伊勢の力強さをもっている。
(「人間と建築-デザインおぼえがき」pp258より引用)

なお、平和大橋は太陽が表現され、ノグチによる命名は「Tsukuru(To Build)」。西平和大橋は犠牲者が黄泉の国へ船出する死の象徴として船の竜骨をイメージし、ノグチによる命名は「Yuku(To Depart)」。

平和大橋の欄干について、イサム・ノグチ氏は、「設計の際、私は、建設の理念、すなわち新たに自己の生活を建設する者の特に再建広島の理念を伝えるものとすべきであると考えていました。従って、私は、建設を意味する名前をその橋に付けたいと思います。」と述べており、「つくる」と命名しています。
(略)- 西平和大橋の欄干について、イサム・ノグチ氏は、「出離の理念、すなわち「人生よさらば」広島がその記念となった悲劇の経験よさらばということを伝えるべきものと考えます。」と述べており、離別の理念をもって「ゆく」と命名しています。
(広島市ウェブサイト「平和大橋・西平和大橋の欄干について」より引用)



現状と課題

さて、二つの橋は今なお使われているが、耐震性と幅員を理由に、広島市は架け替えを検討している。財政難のため時期は明言されていないが、末永くこのままというわけにはいかないだろう。CasaBrutus誌上で菊竹清訓は架替えに異議を唱えていたが、幅員のなさはいかんともしがたい。とりあえず歩道橋を増設するようだが、今後の架け替え可能性は残されている。架け替えにしても、欄干については保存して再利用するのが原則だと思う。(欄干の低さが課題になりそうだが、人が転落したという話は聞いたことがないし、このまま再利用するのが望ましいと思う)