太田家住宅

不詳 18世紀

鞆を代表する商家。現存する町家建築としては県内最高の逸品であり、国指定重要文化財となっている。

保命酒屋としての繁栄

本作は太田家住宅と呼ばれているが、もとは中村家住宅であった。創業者の中村吉兵衛は大坂の漢方医であったが洪水被害で財産を失い、知人を頼って鞆に移住。この地で13種類の生薬を溶け込ませた薬味酒「保命酒」を開発し、1659年から生産を始めた。江戸時代後半になると全国的に知られたブランドとなり、頼山陽も愛飲、朝鮮通信使やペリー提督にもふるまわれたという。保命酒の製造は中村家の独占が福山藩により認められていたため、保命酒の拡販とともに”保命酒屋”中村家の蔵屋敷も豪壮なものとなっていった。現在の太田家住宅とその向かい、さらに常夜灯のある雁木も含め一帯が保命酒屋ゾーンであったという。 ところが明治になり藩が消滅すると他業者が保命酒製造に参入、さらに藩に貸し付けていた多額の資金が回収不能に陥ってしまう。経営の多角化に努めたが業績は戻らず1903年に廃業、建物は昭和初期に太田家に買収された。ちなみに、保命酒は現在でも鞆の4業者が製造しているが、中村家は成分や製造法を一子相伝の門外不出としたため、オリジナルの保命酒とは若干異なるものとなっている。

#1:保命酒浜とも呼ばれる大雁木と太田家住宅(右奥)。右端は別邸「朝宗亭」












巨大な商家がそのまま残る奇跡

#2:左手前が主屋で、左奥の蔵も敷地内。道を挟んだ右側が朝宗亭

:見取り図(案内パンフレットより)

本作でまず注目すべきはその巨大さだ。町家は”うなぎの寝床”状の細長い敷地が通例だが、太田家住宅は街区をほぼ丸ごと占めている。そして主屋に加えて保命酒製造の工場だった酒蔵も良好な状態で現存するのはもはや奇跡と言っていい。
主屋は入母屋本瓦葺(*1)で二階建ての本屋が道路沿いに建ち、座敷棟、使用人棟、茶室などが付属する。18世紀中頃~末に、ほぼ同時期に建てられたようである。道路を挟んで向かい側の海に面する場所には別邸「朝宗亭」が建つ。主屋の裏側には多数の酒蔵が、やはり18世紀後半~19世紀にかけて集中して建てられている。この時期に一気に拡販したのかもしれない。

豪壮な主屋・酒蔵

個々の建物も、建築マニアが悶絶する逸品である。主屋は東にみせの間、南に炊事場、奥に座敷、さらに奥に坪庭をはさんで茶室がある。主屋に入ってすぐ目に飛び込んでくるのは土間を飾る瓦と漆喰の市松模様。復元されたものだが一部オリジナルが現存する(写真#7)。見上げると(写真#8)ハイサイドライトにオリジナルの網代天井(あじろてんじょう)。用材や石も素晴らしいが、強く印象に残るのは酒蔵群の漆喰で、なまこ壁の装飾のセンスの良さや施工精度の高さは目を見張るものがある。

鞆を訪問するなら本作は絶対に外せない、必須のスポットといえよう。