三瀧荘

不詳

#1:昭和初期らしく和館と洋館が接合されている。

#2:網代天井。しかも折り上げ。

#3:おそらく戦後に増築された旅館部分。こちらも網代天井。

広島の建築で決定的に欠ける要素、それは木造の名品だ。東京を歩くと僅かながらも「焼け残り」と呼ばれるエリアがあり、そこには現代では再現不可能な職人技が織り込まれた、日本建築の華というべき木造の名品がある。広島の場合は、デルタの周縁部の建物はたしかに残ったが、特に名品と言うべき優れた建物が多数あったはずの中心部では木造建築の全てを失い(RCは残ったが躯体を残して全焼というケースが多い)、そこが広島の戦災の特殊性ということもできる (*1)。もちろん、段原地区をはじめとして戦後に失われた木造建築も数多い。

前置きが長くなったが、要は広島市内に木造の名品はほとんど残っていないということだ。そんな中で奇跡的に現存するのが三瀧荘。昭和初期に個人住宅として建てられ、1946年から2006年までは料亭旅館として営業、さらに改装されて2009年からは結婚式場として使用されている。結婚式のない日はレストラン営業しているので、豪華ランチのついでに内観してきた。

全体構成としては、庭を囲むようにL字に配棟され、西側の建物は取り壊されてパーティルームが新設されている。北側の建設当初のオリジナルと思われる和館は式場に改装(数寄屋をチャペルとして使うらしい…)、土蔵は喫煙室、戦後のものと思われる旅館部分は個室ダイニングや控え室などとして使えるようになっている。
和館部分は、これぞ木造の名品!と言うべきで、むくり屋根に銅板張り懸魚(げぎょ)、室内に目を転じると網代天井がすばらしい(写真#2)。洋館部分は左官によるコテ装飾なども見られる(写真#4,5)。一つ一つの要素は、今でも京都など他の地域に行けば容易に見ることができるのだが、それを広島の地で拝めることに大きな価値がある。

一方、パーティルーム部分は新設されたもので、鉄とガラスでできた今っぽいモダン(写真#6)。結婚パーティに求められるスケール・ルールで設計されている。デザイナーに和風建築の心得があるかは分からないが、この空間は単に東京のトレンドを持って来ました感が目立つ。戦前の匠たちに現代の数寄屋、現代の木造表現で挑む図式になると建築作品として見るべきものになったかもしれないが、さすがにそこまで要求するのは酷だろう。 もう一点、明らかに残念なのは新旧の接合部分。坪庭を囲む通路の外観はあからさまにコストカットの跡が見え、ディテールも甘い。せめて和館部分は漆喰で化粧して欲しかった(写真#7)。

建物や空間に大きな価値があるのは分かっても、その維持費を稼いで回していくのは至難の業だ。ヨーロッパなら良い建築を守り育てることで資産価値が上がるマーケットがあるし寄付文化もある。日本の場合、特にお金のかかる歴史的建築は、文化財としての保存に公益性があるとして税金が投入されることが多いが、それだけでは文化財指定されない大多数が救えない。さらに最近は価値ある素晴らしい空間にきちんとお金を支払える主体が減っている(本作を含めて全国的に料亭が壊滅状態なのが象徴的)。そんななか、少子化の影響で結婚式費用へは財布のひもが緩むためか、ウェディング業界は良い空間に投資できる数少ない業界となっている。
本作の場合、料亭旅館が閉められた時点で、利活用の方法は限られていた。規模が大きいから単独の飲食店はムリだし、庭園を含めた維持管理費は膨大で、これを負担できるのは結婚式場へ改装する道しかなかったと思う。これがダメなら、待っているのは 泣きたくなるほどつまらないマンションへの建て替えだったはずだ。
かなり改装されてしまったとはいえ、庭園ともども生き残れたことは素直に喜ぶべきだろう。

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