旧呉海軍工廠造船部庁舎

不詳 1920

#1:窓まわりからは組積造に見える

旧呉海軍工廠は、こちらに記したように、戦艦大和などの建造を手がけ、旧海軍でも主導的な役割を持つ工場であった。工場は大きく造船所と兵器工場に分かれており、兵器工場部分が米軍の空爆で破壊された一方、造船所は(戦後の接収を考慮したのか)大きな被害を免れ、結果的に明治時代以来の近代化遺産が多く残されている。そんな造船所の中枢を担った建物の一つが本作である。設計者は不詳だが、かつて曾禰達蔵や桜井小太郎といった実力派の建築家を擁した呉鎮守府建築科が関与したはずだ。現在は造船所を引き継いだJMU(ジャパンマリンユナイテッド)という民間企業の資料室等として使われており、通常非公開だが、見学する機会を得たのでリポートしたい。

#2:シンプルなファサード

外観は赤レンガに覆われ、左右対称で、両端にウィングがある。左右のウィングで微妙に形が違うので、片方は増築なのかもしれない。ジョサイア・コンドルに憧れイギリスで研鑽を積んだ桜井小太郎が呉にいた時期は鎮守府庁舎造兵部第九工場など装飾性の高い作品が多いが、本作はそれらよりは時代が下っており、いたってシンプルな外観だ。窓は縦長で、1階の窓はアーチで建具は木製(オリジナルかどうかは不明)、2~3階は水平アーチでアルミサッシに変えられている。

内部空間で気になったのが、RCと思われる梁とアーチ(レンガなのかRCなのか不明)が同居している点。資料 1) によると本作の主要構造はRC造とあるが、目視した限りはRC造レンガ貼りとは思えなかった。資料 1) の通り1920年竣工であるなら、関東大震災前の試行錯誤している時代のRCであるため、広島の旧陸軍被服支廠倉庫のようにレンガとRCのハイブリッドという可能性もある。

本作は旧呉海軍工廠の貴重な遺構という歴史的価値はもちろん、もしレンガとRCのハイブリッドなら極めて高い建築技術史上の価値をも有することになる。今なお稼働している造船所内の建物であり、常時の一般公開は難しいだろうが、社会で価値を共有するべき建築であることは疑いない。