旧海軍小用北官舎

不詳

#1

#2:太い道路の両側にかつての官舎が残る。

広島や呉から旧海軍兵学校の見学に行くには小用港を利用するのが定番だが、その小用に旧海軍の官舎街が現存するのは全く知られていない。かくいう私も全く把握しておらず、呉空襲時の写真で戦艦榛名のそばに団地っぽいのがあるのを見つけ、実際に現地で確認したらビンゴだった。なお、「旧海軍小用北官舎」という名称は勝手に命名したものなので、今後正式名称が見つかれば変更したい。

幸運にも地元の方から話を聞けたので、以下に要約を記す。文献等による裏付けはまだなく、純粋な聞き取り内容である。

■これは主に旧兵学校関係者向けの官舎で、北官舎と呼ばれていた。小用には南官舎もあったが、北官舎の方が規模が大きい。
■元々は田畑だったところを、戦時中に海軍が官舎に変えた。
■2軒長屋がほとんどであるが、ふもとには女中部屋付きの独立住宅もあった。
■官舎街に一般人が近づくことはできず、憲兵などが巡回していた。
■戦後のどこかのタイミングで払い下げられた。(詳細不明)

見て回った印象では、既に50%が建て替え済で、30%は大幅に増改築され、建設時の面影をとどめるのは20%くらいだろうか。レンガ塀と鉄扉がキチンと残っているのは一箇所のみ確認できた(写真#4)。
オリジナルの住棟は、2階建てで左右対称な2軒を合体させて1棟としたもので、テラスハウス風。間取りを見ると、一部は続き間であるが廊下も備えており、2階には独立した部屋が2つあって広さも十分。現代の住宅と比べても何ら遜色のない近代的なスタイルである。浴室あたりの外観はレンガ積みになっているが、当初から浴室を備えていたかは不明。
そして太く直線的な道路は、防火帯という意味もあっただろうが、兵学校に通勤するための自動車を意識して設計されたのではないかと思う。(推測です)
現地は空き家も増えつつあり、現在の景がいつまで残るかは不安がある。この文化的価値をどう考えるかは非常に難しいが、個人的にはぜひとも残って欲しい特徴的な景観であると思う。