国前寺

不詳 1671

デルタ(三角州)の北端、小高い丘の麓に建つ寺院。

「国前寺縁起」によると、暦応三年(1340)に安芸の国を訪れた日蓮の弟子日像が、尾長山の麓で草庵を営んでいた僧暁忍に出会い、この時暁忍が日像に師事して寺(暁忍寺)を開いたのが始まりであるといいます。その後、明暦二年(1656)に広島藩の二代藩主である浅野光晟とその妻満姫の菩提寺となり、寺名を国前寺と改称しました。これを契機に本堂、庫裏などの諸堂の造営が行われ、寺観が整えられました。
(現地案内板より引用)

これら建築群も被爆時に強烈な爆風にさらされ、屋根や壁が落ちるなどの被害を受けたものの焼失は免れた。本堂については1955年頃と2005年頃の二度に渡り大修理が行われており、往事の佇まいを今に伝えている。かつて広島を代表する寺院といえば国泰寺(*1) であったが、市内中心部の近世都市の町割りともども戦災で完全に失われてしまったため、不動院や国前寺などのデルタの北端エリアに辛うじて残る建物は貴重だし、建築としても十分に見応えがある。