己斐調整場調整池

不詳 1934

[注意] これら写真は特別に許可を得て撮影したものです。敷地内は通常非公開です。見学について管理者へ問い合わせるのもおやめください。


己斐の山の上にある調整池。麓にあるポンプ室はこちらに書いたように公道から観察できるが、調整池は通常見ることはできない。機会を得て牛田の配水池とともに特別に見学できたのでレポートしたい。なお、本作は現在運用休止中であり、敷地内の別の調整池が使用されている。

広島の近代水道は、こちらに書いたように、太田川から取水してろ過し、牛田の山からの高低差を利用してデルタ地域に送水するシステムであった。しかし、西の己斐エリアまで水道管が伸びてくると水圧が足りなくなってきたのと、平地だけでなく高台の家にも給水する必要が生じたため、水道水も再度高台に汲み上げて水圧をかけ直す必要が生じた。こうして建設されたのが己斐調整場であり、この調整池とポンプがセットで整備された。

調整池は全体がRC造となっており、塔屋などには曲線を多用する表現主義的なデザインもあり、江波山気象館ともども、1930年代の一つの典型的なスタイルをとどめている。職員以外目にするはずのない塔屋内部にもしっかりとデザインの手が入っているのには感銘を受ける。やはり戦前期の土木物は現代とはレベル(やる気)が違う。
なお、本作は広島市の被爆建物リストには掲載されておらず、知られざる被爆建物といえる。(もっとも、これが建物といえるかどうかは微妙であるが)