浄土寺

不詳 1327

文句なく尾道を代表すると言える古刹。創建年代は不詳だが、飛鳥時代に聖徳太子が開いたとも言われ、相応の歴史があることは間違いない。鎌倉時代には衰退するが、奈良西大寺の定証上人のもと、真言律宗系の寺院として再興、建物は一度焼失するが、尾道の豪商の手により再建された。この時の建築群が現在建っているものである。当地には足利尊氏が戦勝祈願に立ち寄ったというエピソードもあり、建物の各所には足利家の家紋らしき模様が見られる。

本堂
本堂はいわゆる密教本堂と呼ばれるもので、基本的には和様であるが、禅宗様・大仏様の要素を取り入れた折衷様とされる。明王院など瀬戸内海沿海部の古寺に共通するスタイルだ。参考文献 1) によると、向拝の手挟(たばさみ)は現存最古の例という。

阿弥陀堂
本堂の横に建つ建物は阿弥陀堂と呼ばれるが、建物の形式としてはこれも密教本堂らしい。屋根の勾配も穏やかで落ち着きのある和様。

多宝塔
多宝塔も基本的には和様(写真を見ると垂木が平行なのが分かる)。ただし木鼻の装飾は禅宗様(参考文献 1) によると大仏様とある)。蟇股(かえるまた)の透かし彫り装飾もなかなか見ごたえがある。

その他
敷地内には、このほかにも山門、裏門、茶室、方丈、庫裏など、南北朝時代から江戸時代にかけての建築群が現存している。これら建築群は、少なくとも鎌倉時代の尾道にはこれほどのものを普請できる豪商がいたという証拠であり、商都の奥深さを体感できる。